本当の話をしようよ
parco sakamoto × chiQ takeda
本当の話をしようよ
出会い頭に激しく惹かれ合った
勘違いの勢いに火がつくや
一晩持てばいいトコ
すぐさま燃え尽き、勝手に鎮火
ただ、それら一連の事象は、
感情というよりも、言ってみれば身も蓋もない
欲望にそそのかされた結果でしかなかったと、
夏は心の錠を甘くするわ、ご用心
チウリップの花びらを糸で縫い合わせた
きょうはそういう日だ
咲かない方がずっといい
わかっている
あしたにはあかい花が咲く
どうせわたしは敵わないのだから
遠くからあかい花を見ている
(だってやっぱりとてもきれいだ)
垂直になって空へと開くあかい花
あかい花のまねをしてただ立つわたし
街の片隅のちいさな公園に
どうぶつの遊具がひとつだけある
誰も見向きもしないのに
さっきの雨でぬれたまま
いつものように笑っている
こんな場所からも
夕焼けが美しくみえてしまう
ありきたりなことがあって
わたしが困っている
犬が夕闇に向かって途方に暮れている
冬の澄んだ風は何の匂いもしないのだったし
近所の爺が自転車で通っていった
私は影が伸びるのを見ていた
それを後ろ手で閉じたら
一つの一日が終わっていた
今日、ヒョロリが死んだ
何度も何度も真っ直ぐに泳ごうとして
何度も何度もそれを私に見せようとして
大切なことはいつも、いつだって覚えていないというものなのではないでしょうか
余計なことばかり覚えている
ソファから見えるテレヴィの位置とか
アイスクリームが溶け切って皿の上に小さなプールを作っていたこととか
左の踵ばかりに靴擦れをつくってしまうこととか
煎った胡桃とか
今だ
今、この瞬間に必要なのは音楽で云う転調
音楽家でない者には転調することが出来ない
ただ、死亡告知という文字だけが
脂肪告知と誤って変換されたまま
モニタの画面で発光していた
不可能を苦々しく思う
ヒョロリの亡骸を見下ろす
豆大福の詩を書いた。たくさんの人に読んでもらってうれしかった。
生きることは複雑で、今日も明日も悩まなければならないことがたくさんあって、豆大福がたべたいだなんて、どうでもよい程ちいさな事なのかもしれない。
だけれど、脳細胞と宇宙の構造は似ているって、よく聞く。
だから豆大福が食べたいというわたしのちいさな欲求は、生き物としてもっとおおきな根源的な欲求と、ほんとうはとても似ているのかもしれないって思っている。
わたしはじぶんのどんなつまらない気持ちも、なるべくないがしろにしないように生きていたい。
それにそういえば、詩を読んだ人たちが豆大福を食べてくれたりした。
豆大福には牛乳が合うだとか、二つも食べたとか、そんなことを教えてくれた。豆大福の写真を送ってくれたり、SNSにアップしてくれたりもした。なぜだか草餅が食べたいっていう人がいたり、なんかの種類の犬と豆大福が似ているっていう人もいた。
複雑でむずかしくて、哀しいことばかりが続いたりもしてしまう世界のなかで、一瞬でもいい、顔も知らない人たちと豆大福の話を交わせたことが、すごく幸せだった。
豆大福の詩を書いてよかった。豆大福がおいしくてほんとうによかった。
私より10以上若い方たちと話す機会があって
まず
面白いと思ったのが
彼らの世代は
どんなことであれ何かに精通している人を
「きちんと」「リスペクト」 するのだなあ、
というのがここ最近何度か
自分より若い世代の人
と話していて思うことです。
で
「今日はこれからどうなされるんですか」
と聞かれたので
「せっかく駅前にいるのだからヤスダヨーグルトにサンデーを食べに行く」
と言ったらひとりの女子が
「・・・あそこのサンデー!!
・・・おいしいですよね・・・!!」
とテーブルに打っ臥した。
年齢に関わらず
ヤスダヨーグルトはおいしい。
四月の終わりにちかい
桜の花はもうとおい
あっというまに一日を消費して
気づけば空をみていない
豆大福が食べたい
ここ数日そのことばかりを考えていて
生活はとにかく平和だった
わたしという構造は案外むずかしくないと
うすく片栗粉のついた指をみて
満足げに笑っている
とてもよい
空が青くて豆大福は白い
そのとき急に
もっとも大事なことを思い出して駆けだす
うみ辺までそらを見にいこう
あおい車で
今日はみえないものをみるのはやめて
うみとそらをみたいと思った
ちかくをみつめすぎだから
とおくをみたいと思った
途中のコンビニでちょっと立ち読みをして休む
うみは、てのとどくそらだった
あしをふみだせば
ゆびの隙間からこぼれ落ちる、そらだった
つい
そらをみあげるのを
わすれてしまう
ポルノ
すなわち
てを延ばせば
未だ
とどくという
幻想
てがとどくようでいて
どこにあるのかわからない、
とおくてとどかないけれど
みあげさえすればそこにある空
せすじをのばして
ちょっと近くなって
そのあとコーヒーを飲んで
やまなみをながめてた
連載のはじめは5つずつねって話してたのに、
気がついたら8つも載せている
坂本パルコはずるい
神さまが坂本パルコを貸してくれた
どこかの
写真のようにどこかに飾られているらしい
まるで生きてるようだと、誰かに誉められて
きっと私たちは愛という名で呼ばれているのだろう
NIIGATAという街は1日が32時間以上もあって、
太陽が海に沈むという
わたしの住む街はCHIBAといって、太陽が海から昇ってくる
NIIGATAとCHIBAの挟間には
八ヶ岳という名前の谷川岳が在る
それがそらを別けていて
曇りぞらをNIIGATAでは晴れと言う
それを聞いてCHIBAに住むきみは笑った
そんなとき
私たちのそらはつながっていると思う
武田地球と私の視線は合致していて
それは反省である
つまり運命とはそういう積極的なものなのではないかと考えています。
この頁は環境保護のため
再生紙を使用していません
あんな風でいて、坂本パルコはとても働きものだとおもう。
「一緒に詩を書いたりしましょう」と言ったつぎの日にはこのサイトができていて、それから2週間も経たずに公開をしている。
一方わたしは、ここに存在しているだけのような気がする。自己紹介すら自分で書けなかったから、わたしらしいなと思ったりしている。それでもよいと言ってくれるから、ほんとうに感謝をしている。
ときどき、神さまはいつまで坂本パルコを貸してくれるのだろうとおもう。
レンタル期間をきくのをわすれて、もう延滞してしまっているのかもしれない。
人との出逢いも、それになにもかも、いつかはわたしの手元から無くなるものだけれども、傷をつけずにとても大事にして、それから神さまに返却をしたい。そんなことをおもうようになった。
土曜日の午前
いつも同じ気分
黒いGARCONSの襟のついたワンピイス
新潟に来て十一年
まだ季節の変わり目が分からない
私は朝から何も食べていなかった
食べていないからには空腹であるべきだと思ったし
私の魔法使いは約束の時間までは現れないので
店に入って何か胃に入れようと思った
アイスコーヒー、とそれから何か食べるものを注文しようとするが
メニューを見た途端に何故か
その「何か」を食べる気が失せてしまう
結局妥協案として桃とラズベリーのミルクシェイクを注文した。
その飲み物には或る名前のための名前、
例えばスプリングピーチスペシャル
などと大仰な名前がつけられているが
私には気恥ずかしさからその名を呼ぶことが出来ず
メニューを指さして
これを、
注文を終えて視線を店内に向ける
二十代半ばくらいだろうか
テエブルに着いた若い女が
紙コップに注がれたお湯にティーバックを沈めている
ポットサーヴィスだったらよいのに
やがてシェイクが運ばれてくる
ガラス越しに木は揺れていた
私はそれを見ているしかなく
ストローを咥えたが
思うように吸いこむことが出来なかった。
住宅街にも墓がある
しらない道に片方だけの手袋が落ちている
坂道をくだる自転車は速くなる
それにわたしは急に、ふかい空をみてしまう
もう何も知らないことにする
枯れたイチゴをみる
まだ思い出すことがある
もっともっと足音をたてずに歩く
朝も夜もきらいだ
うしろで父親が
「あんたはなにをいうとるんや」と言った
そこからふっと、日曜日がはじまる
これは決して一人では見つからなかった
何もないベランダ
脱いだだけの靴
洗いざらしのコップ
うらがえしのスマートフォン
塩水にひたしたリンゴ
短すぎるカーテンから覗きみえる
日曜日
いやな感応をする
道端、ぶどう畑の看板に吸い寄せられては泣く
並んだねこよけペットボトルの群れが、うったえてくる
いやな感応をしている
曇り空が赦せない
この先、の矢印がにくい
電柱の電話番号の意味がわからない
渋滞の車の列のテールランプが苦しい
風になびく幟が、自転車の人間が、
飛ぶ鳥が、おそろしい
いつもの音楽がちがく聴こえる
いつもの人がとても冷たい
てくてく、
どこに歩いていくのか
いやな感応をしている
行き先不明、朝8時15分
雨上がりの空の下
ひとりの女が立ち止まっていた
今日一日にやってくるであろう物事が
一気に押し寄せてきたのだ
息が苦しかったら
スイー、
と浮かび上がればよい
などとは誰が落とした言葉だったのか
息が苦しいのは髪を摑まれて水面に
頭を押さえつけられているからではない
息が苦しい理由なんて人それぞれだ
勝手なことを言わないでいただきたい
女は寄って立つ場所が無かった
初めから無かったという
グニャリとヒザを落とした途端
気がつくと
ベッドに蝉のように寝就いて
何をするでもなく
ベランダに転がった蝉の死骸を眺めていた
やがて女は眠ってしまった
もう逃げ隠れは出来ない
と思うこと数回
水色の中
電線が揺れた
どんな視線を投げつけられようと
蛙の面にシャンパンさ
水たまりに映った
青い空の上を私は飛んだ
昼12時45分、出社
「常に備えよ」というボーイスカウトの訓示はこういう時にこそ生かされるべきなのではないだろうか。
答えを予め準備しておくべきなのであろう事柄について
当然準備などできていないので
いつもしどろもどろでまともに答えられない。
例えば、試写会に行った折
大抵の場合、試写終了後に配給会社の宣伝部の方が
「いかがでしたか?」
と聞いてくるのはわかっているのに
いつもなにも考えていないので
「おもしろかったです・・・」
「女性作家らしい・・・」
などとアホみたい
(というよりアホそのもの)
な返事しかできません。
顔もわすれたし、声もわすれた
名前に至ってはもともとしらないし、借りた本もどこに置いたかわすれた
いっしょに観たものもわすれたし、いっしょに歌ったものもわすれた
シャンゼリゼごっこをしたことは覚えているけれど、シャンゼリゼごっこがなにかはわすれた
うっすらと夏だった、いつの夏かはわすれた
シャンゼリゼは新宿にあったように思うけれど、どこがどうシャンゼリゼだったかはわすれた
いい大人がふたりでどうしてシャンゼリゼごっこなのかと考えたけれど
気持ち悪い感傷はだいきらいで、はじめから無いことになった
シャンゼリゼの店のクレープはおいしかった
けれど、どんな味だったかはわすれた
そこではじめてブラックコーヒーをのんだ、これはわすれちゃいけないことだった
わすれたというよりおぼえきれないし、おぼえるというよりわからなかったけれど
サングラスの下の眼がきらきら光っていた
「ねえ、つぎはベトナムごっこをしよう」とあなたは言った
うれしかったからずっとわすれなかった
なのに
ベトナムごっこをする日はこないし、そんな約束はわすれられた
だいたい、
毎日がべつべつの場所で、べつべつにせわしなく過ぎるので、わたしたちにはベトナムごっことは何かとかんがえる暇もなかったもの
いつか新宿のシャンゼリゼどおりで、ベトナムごっこをしたい
「夏はあついからいやだよ」
「どうして?ベトナムはもっと暑いんですよ」
あなたはこんな簡単なことがわからない人だから、ベトナムごっこができない
あなたのせいで、いつまでもベトナムごっこができない
朝にぬかから胡瓜を出して切る。
冷えた長岡茄子にからし醤油をつける。
これが食卓に並ぶようになると夏だなあ、と思う
あたりまだ夏ではないんだなあ、と思う。
毎日暑くて
暑いとなんというかカラダが活性化されて
何をしていても健やかだなあ、
と思うそのことが好きだ。
(それに頷く私は
汗を必死にかいて体温調節をしているカラダを
活性化している
などと括ってしまうし
健やか って何か入学式っぽいわよね?
なんてことを思ってしまう。)
暑くて ヤーんなっちゃう
と繰り返し言ったりするのも好きだし
食欲がないと言っている人の傍で
アタシへいちゃら
と言いながらものを平らげるのも好きだし
汗まみれになって目が覚める
あの朝の感じも好きだ。
う、う、うれしいーです。
(同意はせずに頷く私は
暑い街中を意気揚揚
とまでとはいかなくとも歩き回り
冷房の効いている建物に入るその瞬間
アー コレコレ
と感じたりすることが好きだし
思っていたよりも涼しくない
と期待を外される感覚も好きだ。
クーラーを効かした室内で
羽根布団に包まり世間様を
小馬鹿にした笑いを浮かべるのも好きだし
朝目覚めて自分の部屋を一歩でた
あの煙い感じの空気も好きだ。
なによりビイルがおいしい
う、う、うれしいーです。)
鳥もうるさいし
草木も生い茂ってるし
髪が伸びるのもはやい
女は男のやさしさにつけこむし
男は易しさで女につけこむ
雨上がりに涌く虫に文句を言う。
という夏にまつわる
ア リアルテイル。
パイナップルマンゴーって甘いの?
と聞かれたので
飲んだことがないので判らない
でも甘いと思う
と答える。
*
シックス
という言葉を見聞きすると
どうしたって
セックス
という言葉を押し付けられてしまう
というか一般に
シックス
は
セックス
とも言う。
*
美しく移ろう日本の四季
ここは常夏ではありません
夏は心の錠を甘くするわ、ご用心。
ピカピカの服を着ていたカンボジアの果物係りの少年は
20年もおなじ係りをしているうちに
果物のことが何にもわからなくなってしまった
それでも果物係りはその場所にしがみついて
コンビナートの機械みたいにセッセと果物を捌いては、ひとり安心をしている
この道は引き返せないと思いこんでいる
アンコールワットでミルクフルーツを割ったとき
果物係りの夢だったものがジトリと流れ落ちて、わたしの頬が上気した
彼がビー玉の目で、ジイッと見ていた
なんだかいっそうやりきれなくて
20年も着古した帽子を借りておどけてみせた
果物係りはケラケラと笑っていた
夕暮れ、行きかう人たち
幾ばくかの祈りを捧げて
一日が、閉じていく
きのうやってきた別れが
今日になってもどこにも行かない
わたしは家をでて
3丁目と4丁目をうろうろしている
道端で蝶がとべない
よけて歩いて
あと5分もすればきっと死ぬ
わたしは「しごとに行きたくない時に書きました」と言って「行き先不明、朝8時15分 」という詩を提出した。
「私もそういう詩を書いたことがあります」と詩が送られてきた。
しらないところで誰かが、おなじような瞬間を持っている。
わたしの街の電車はピンク色をしていて能天気だ。それでいてとてもきらいにはなれない。
猫がにゃーと鳴くように、詩人は詩を書いたりする。
庭の蜜柑は星だった
オーリーオーンの三ツ星だった
ながい孤独の底がぬけた瞬間
宇宙から落ちて
ちょうど蜜柑の実となった
わからないことがたくさんありすぎて
いっそあわれな姿となったが
今年はとくに酸っぱくて美味しいねと言われ
まんざらではないと微笑んでいる
ときどき思い出したように
くやしくてくやしくて
真夜中きゅうに輝いては、泣く
さっき電車に私は
もの思う部分を
おいてきちゃったみたい
そんな気がするんです
夕暮れは、揺れても揺れても終わりがないようだった
そんなはずのないことなど分かっているのに
読みかけの本を落とし
スカアトを直し吊革を握る
流れる景色は落ち着かずドアも開かない
怖くはなかった
終わりはいつまで終わらないのだろう、という映画の台詞を思い出していた
それがいったいなんの映画だったのか、
大体それは映画だったのかさえ思い出せなかった
うわのそらで立っていたので
一瞬
力を入れるのが遅れる
前に突き出てやっと止まった
まだ痛みを伴わない傷みが
不思議なほど心地よくて眠たくなる
頁をめくった風をおいかけてみる
そして身体は
誰かを押しのけていることにも気付かない
大学生のころ友人の家で
オーブンで焼いたエビを
あっという間にぺろりと8尾平らげてしまい、
それから後は
ビイルとエビが大好きなかわいい学生
という拭い去ることの出来ないアイデンティティを確立し、
と同時に
大トロのにぎりを与えるといくらでも食べるかわいい学生
更には
煮あなごのにぎりなら一桶平らげるかわいい坂本パルコ
として存在しつづけてきたのですが、その頃からはや10余年
いつしか自分でも気づかないうちにその役割を終えていた。
もうそんなに食べられない・・・
のに先日も
玉ねぎと海老と舞茸のかき揚げが美味しくて食べ過ぎてしまう
ここのところ少し量を食べるとキモチ悪くなる
ということが続いていて今回もその例にもれず
キモチ悪くなり一晩中眠れず
翌日もほとんど何も食べられず、
ということになる。
こういうのを
自業自得
とか言うらしい。
まったくぜーんぜん知らなかった。
元気がない時のわたしに
「ちきゅうさんっ。そういう時はちょっといいハンバーグを湯煎しましょっ。」と言ってくる。
わたしは仕方なくなって、ハンバーグを湯煎します。そうして今年の5月も終わりに近づく。二度と来ない。
散歩を誘う小路があった
五月雨が通りすぎて
花の匂いを消していく
ひとひら散り、またひとひら、すでに葉になりつつあり
ひとつだけ残ったつぼみ。
どうやらこのつぼみまでは開くらしい。私は
かなわないと知っているおもいを何度も取り出して、開いて、触って、
かなわないと知っているおもいほど快楽。
黙っていた。
かたときも離れず一緒にいなければ死んでしまう
というふたりにしか行けない場所が
確実にあるように
そんな時間があるように
それはとても思ってしまう。
私もそこに
ゆけたかもしれなかったその場所を
ふたりは今日も散歩していて
そこにはあたたかな雨が降り
日常の後ろに音楽が流れ
それらを丁寧にかさねてゆく。
それは友情でも恋人でも夫婦でも呼び方はなんでもかまわない。
私は大事な人と離れてはいけなかったのではなかったか。
花ではなく
歌ではなく
ずっと信じられるその言葉より
選んだ言葉が声になった。
「あなたは私の太陽」
無数の緑のかたまりが
等間隔に並んでる
生きているのか死んだのか
キャベツ畑に蝶が飛ぶ
女はキャベツ以外だ
時間をわすれて立ったまま
その景色を見ている
昨日うまくいったはずのことが
今日になって最悪の結末を迎えた
けれど通り過ぎて行くしかない
家に帰って冷蔵庫をあける
キャベツがひとつだけあり
他には何もない
仕方ないから蒸す
蒸して食べる
わたしは
全てを知っていたのだといいます・・・。
夢の中で見る夢さえ
わたしはここに来ることを知っていたといいます。
透明な糸を辿り
ふたりは出逢いのあの時を
何度も繰り返し話していた、と聞きます。
どっちが恋におちた、見つけた、
と言い合っても
前の世ではそれが約束だったのだから、と聞いています。
一緒に次を思い出してみることにしました。
勝手な話に付き合わせましたね。
あの流木に座ることも約束だったのかな。
蒼い夜があった
そこで星が生まれて死んだ
水銀灯に照らされ魂がゆれていた
気がつくと私は或る屋敷に植えられた中庭の木になっていた
いつもはテーブルの下にいるms.good yearが爪をといだり無邪気にしたりする蜜柑の木だ
最近実に宿った魂に
アア、やってくるのではなく、いつから日々は過ぎていくものになったのだろう
などとシニカルな会話をするようになった
上手くいかない人生
上手くいくはずのない人生
二人は見上げるこの空の
星座の中にはいない
やがておとずれる安らぎ
(あるいは偽りのやすらぎ)
私は言葉で指を差し出す
もっと深くて遠いところで輝いた
あの星座が見ている星さ
きみといっしょでよかった