数年前に恋人が死んだ。
自宅にも少しだけ骨を置いておきたかった。だからそうした。
ところが骨の保管というものは難しいそうで、手元供養の小さな骨壺の中で骨は
もう黴が生えているかもしれない。
死んだあとにもそんな事が待っているものだから、いのちとは難儀なものですね。
そんなことをぼんやり考えていたら、今日はお盆だった。
身内の墓参りの算段はしても他人の盆などすっかり忘れるものだと、思わず笑ってしまう。
それでもあの頃のわたしの、わたしの殆どすべて。
とにかく我の強い人だった。
きっとお盆に思い出さないわたしに腹をたてて、向こうからやってきたのだろう。
最期に会った時は車椅子に乗っていたはずなのに、迎えのナスもキュウリも来ないから怒って、「あんたはなにしてんのや」と必死に歩いて来たような気がする。
思いだすことも減ったのに、やたら鮮明に目の前にあらわれてしまう。愛というものは、死ぬこともできず厄介だ。
好きだった梨を剥いて、線香を焚いた。
あの人が捨てたはずの、それでも故郷の街、大阪の寺で買ったビャクダンの線香がわたしにも優しい香りを届ける。
もう殆ど忘れてしまった。
けれどこの家にはあの人の遺骨があって、遺影がある。遺骨にはもう黴が生えているかもしれない。
それでもまだあって、それからジッポのライターもある。
written by chiQ takeda