本当の話をしようよ
parco sakamoto × chiQ takeda
出会い頭に激しく惹かれ合った
勘違いの勢いに火がつくや
一晩持てばいいトコ
すぐさま燃え尽き、勝手に鎮火
ただ、それら一連の事象は、
感情というよりも、言ってみれば身も蓋もない
欲望にそそのかされた結果でしかなかったと、
夏は心の錠を甘くするわ、ご用心
チウリップの花びらを糸で縫い合わせた
きょうはそういう日だ
咲かない方がずっといい
わかっている
あしたにはあかい花が咲く
どうせわたしは敵わないのだから
遠くからあかい花を見ている
(だってやっぱりとてもきれいだ)
垂直になって空へと開くあかい花
あかい花のまねをしてただ立つわたし
街の片隅のちいさな公園に
どうぶつの遊具がひとつだけある
誰も見向きもしないのに
さっきの雨でぬれたまま
いつものように笑っている
こんな場所からも
夕焼けが美しくみえてしまう
ありきたりなことがあって
わたしが困っている
犬が夕闇に向かって途方に暮れている
冬の澄んだ風は何の匂いもしないのだったし
近所の爺が自転車で通っていった
私は影が伸びるのを見ていた
それを後ろ手で閉じたら
一つの一日が終わっていた
今日、ヒョロリが死んだ
何度も何度も真っ直ぐに泳ごうとして
何度も何度もそれを私に見せようとして
大切なことはいつも、いつだって覚えていないというものなのではないでしょうか
余計なことばかり覚えている
ソファから見えるテレヴィの位置とか
アイスクリームが溶け切って皿の上に小さなプールを作っていたこととか
左の踵ばかりに靴擦れをつくってしまうこととか
煎った胡桃とか
今だ
今、この瞬間に必要なのは音楽で云う転調
音楽家でない者には転調することが出来ない
ただ、死亡告知という文字だけが
脂肪告知と誤って変換されたまま
モニタの画面で発光していた
不可能を苦々しく思う
ヒョロリの亡骸を見下ろす
豆大福の詩を書いた。たくさんの人に読んでもらってうれしかった。
生きることは複雑で、今日も明日も悩まなければならないことがたくさんあって、豆大福がたべたいだなんて、どうでもよい程ちいさな事なのかもしれない。
だけれど、脳細胞と宇宙の構造は似ているって、よく聞く。
だから豆大福が食べたいというわたしのちいさな欲求は、生き物としてもっとおおきな根源的な欲求と、ほんとうはとても似ているのかもしれないって思っている。
わたしはじぶんのどんなつまらない気持ちも、なるべくないがしろにしないように生きていたい。
それにそういえば、詩を読んだ人たちが豆大福を食べてくれたりした。
豆大福には牛乳が合うだとか、二つも食べたとか、そんなことを教えてくれた。豆大福の写真を送ってくれたり、SNSにアップしてくれたりもした。なぜだか草餅が食べたいっていう人がいたり、なんかの種類の犬と豆大福が似ているっていう人もいた。
複雑でむずかしくて、哀しいことばかりが続いたりもしてしまう世界のなかで、一瞬でもいい、顔も知らない人たちと豆大福の話を交わせたことが、すごく幸せだった。
豆大福の詩を書いてよかった。豆大福がおいしくてほんとうによかった。
私より10以上若い方たちと話す機会があって
まず
面白いと思ったのが
彼らの世代は
どんなことであれ何かに精通している人を
「きちんと」「リスペクト」 するのだなあ、
というのがここ最近何度か
自分より若い世代の人
と話していて思うことです。
で
「今日はこれからどうなされるんですか」
と聞かれたので
「せっかく駅前にいるのだからヤスダヨーグルトにサンデーを食べに行く」
と言ったらひとりの女子が
「・・・あそこのサンデー!!
・・・おいしいですよね・・・!!」
とテーブルに打っ臥した。
年齢に関わらず
ヤスダヨーグルトはおいしい。
四月の終わりにちかい
桜の花はもうとおい
あっというまに一日を消費して
気づけば空をみていない
豆大福が食べたい
ここ数日そのことばかりを考えていて
生活はとにかく平和だった
わたしという構造は案外むずかしくないと
うすく片栗粉のついた指をみて
満足げに笑っている
とてもよい
空が青くて豆大福は白い
そのとき急に
もっとも大事なことを思い出して駆けだす
うみ辺までそらを見にいこう
あおい車で
今日はみえないものをみるのはやめて
うみとそらをみたいと思った
ちかくをみつめすぎだから
とおくをみたいと思った
途中のコンビニでちょっと立ち読みをして休む
うみは、てのとどくそらだった
あしをふみだせば
ゆびの隙間からこぼれ落ちる、そらだった
つい
そらをみあげるのを
わすれてしまう
ポルノ
すなわち
てを延ばせば
未だ
とどくという
幻想
てがとどくようでいて
どこにあるのかわからない、
とおくてとどかないけれど
みあげさえすればそこにある空
せすじをのばして
ちょっと近くなって
そのあとコーヒーを飲んで
やまなみをながめてた
連載のはじめは5つずつねって話してたのに、
気がついたら8つも載せている
坂本パルコはずるい
神さまが坂本パルコを貸してくれた
どこかの
写真のようにどこかに飾られているらしい
まるで生きてるようだと、誰かに誉められて
きっと私たちは愛という名で呼ばれているのだろう
NIIGATAという街は1日が32時間以上もあって、
太陽が海に沈むという
わたしの住む街はCHIBAといって、太陽が海から昇ってくる
NIIGATAとCHIBAの挟間には
八ヶ岳という名前の谷川岳が在る
それがそらを別けていて
曇りぞらをNIIGATAでは晴れと言う
それを聞いてCHIBAに住むきみは笑った
そんなとき
私たちのそらはつながっていると思う
武田地球と私の視線は合致していて
それは反省である
つまり運命とはそういう積極的なものなのではないかと考えています。
この頁は環境保護のため
再生紙を使用していません
あんな風でいて、坂本パルコはとても働きものだとおもう。
「一緒に詩を書いたりしましょう」と言ったつぎの日にはこのサイトができていて、それから2週間も経たずに公開をしている。
一方わたしは、ここに存在しているだけのような気がする。自己紹介すら自分で書けなかったから、わたしらしいなと思ったりしている。それでもよいと言ってくれるから、ほんとうに感謝をしている。
ときどき、神さまはいつまで坂本パルコを貸してくれるのだろうとおもう。
レンタル期間をきくのをわすれて、もう延滞してしまっているのかもしれない。
人との出逢いも、それになにもかも、いつかはわたしの手元から無くなるものだけれども、傷をつけずにとても大事にして、それから神さまに返却をしたい。そんなことをおもうようになった。
土曜日の午前
いつも同じ気分
黒いGARCONSの襟のついたワンピイス
新潟に来て十一年
まだ季節の変わり目が分からない
私は朝から何も食べていなかった
食べていないからには空腹であるべきだと思ったし
私の魔法使いは約束の時間までは現れないので
店に入って何か胃に入れようと思った
アイスコーヒー、とそれから何か食べるものを注文しようとするが
メニューを見た途端に何故か
その「何か」を食べる気が失せてしまう
結局妥協案として桃とラズベリーのミルクシェイクを注文した。
その飲み物には或る名前のための名前、
例えばスプリングピーチスペシャル
などと大仰な名前がつけられているが
私には気恥ずかしさからその名を呼ぶことが出来ず
メニューを指さして
これを、
注文を終えて視線を店内に向ける
二十代半ばくらいだろうか
テエブルに着いた若い女が
紙コップに注がれたお湯にティーバックを沈めている
ポットサーヴィスだったらよいのに
やがてシェイクが運ばれてくる
ガラス越しに木は揺れていた
私はそれを見ているしかなく
ストローを咥えたが
思うように吸いこむことが出来なかった。
住宅街にも墓がある
しらない道に片方だけの手袋が落ちている
坂道をくだる自転車は速くなる
それにわたしは急に、ふかい空をみてしまう
もう何も知らないことにする
枯れたイチゴをみる
まだ思い出すことがある
もっともっと足音をたてずに歩く
朝も夜もきらいだ
うしろで父親が
「あんたはなにをいうとるんや」と言った
そこからふっと、日曜日がはじまる
これは決して一人では見つからなかった
何もないベランダ
脱いだだけの靴
洗いざらしのコップ
うらがえしのスマートフォン
塩水にひたしたリンゴ
短すぎるカーテンから覗きみえる
日曜日
いやな感応をする
道端、ぶどう畑の看板に吸い寄せられては泣く
並んだねこよけペットボトルの群れが、うったえてくる
いやな感応をしている
曇り空が赦せない
この先、の矢印がにくい
電柱の電話番号の意味がわからない
渋滞の車の列のテールランプが苦しい
風になびく幟が、自転車の人間が、
飛ぶ鳥が、おそろしい
いつもの音楽がちがく聴こえる
いつもの人がとても冷たい
てくてく、
どこに歩いていくのか
いやな感応をしている
行き先不明、朝8時15分
雨上がりの空の下
ひとりの女が立ち止まっていた
今日一日にやってくるであろう物事が
一気に押し寄せてきたのだ
息が苦しかったら
スイー、
と浮かび上がればよい
などとは誰が落とした言葉だったのか
息が苦しいのは髪を摑まれて水面に
頭を押さえつけられているからではない
息が苦しい理由なんて人それぞれだ
勝手なことを言わないでいただきたい
女は寄って立つ場所が無かった
初めから無かったという
グニャリとヒザを落とした途端
気がつくと
ベッドに蝉のように寝就いて
何をするでもなく
ベランダに転がった蝉の死骸を眺めていた
やがて女は眠ってしまった
もう逃げ隠れは出来ない
と思うこと数回
水色の中
電線が揺れた
どんな視線を投げつけられようと
蛙の面にシャンパンさ
水たまりに映った
青い空の上を私は飛んだ
昼12時45分、出社
「常に備えよ」というボーイスカウトの訓示はこういう時にこそ生かされるべきなのではないだろうか。
答えを予め準備しておくべきなのであろう事柄について
当然準備などできていないので
いつもしどろもどろでまともに答えられない。
例えば、試写会に行った折
大抵の場合、試写終了後に配給会社の宣伝部の方が
「いかがでしたか?」
と聞いてくるのはわかっているのに
いつもなにも考えていないので
「おもしろかったです・・・」
「女性作家らしい・・・」
などとアホみたい
(というよりアホそのもの)
な返事しかできません。
顔もわすれたし、声もわすれた
名前に至ってはもともとしらないし、借りた本もどこに置いたかわすれた
いっしょに観たものもわすれたし、いっしょに歌ったものもわすれた
シャンゼリゼごっこをしたことは覚えているけれど、シャンゼリゼごっこがなにかはわすれた
うっすらと夏だった、いつの夏かはわすれた
シャンゼリゼは新宿にあったように思うけれど、どこがどうシャンゼリゼだったかはわすれた
いい大人がふたりでどうしてシャンゼリゼごっこなのかと考えたけれど
気持ち悪い感傷はだいきらいで、はじめから無いことになった
シャンゼリゼの店のクレープはおいしかった
けれど、どんな味だったかはわすれた
そこではじめてブラックコーヒーをのんだ、これはわすれちゃいけないことだった
わすれたというよりおぼえきれないし、おぼえるというよりわからなかったけれど
サングラスの下の眼がきらきら光っていた
「ねえ、つぎはベトナムごっこをしよう」とあなたは言った
うれしかったからずっとわすれなかった
なのに
ベトナムごっこをする日はこないし、そんな約束はわすれられた
だいたい、
毎日がべつべつの場所で、べつべつにせわしなく過ぎるので、わたしたちにはベトナムごっことは何かとかんがえる暇もなかったもの
いつか新宿のシャンゼリゼどおりで、ベトナムごっこをしたい
「夏はあついからいやだよ」
「どうして?ベトナムはもっと暑いんですよ」
あなたはこんな簡単なことがわからない人だから、ベトナムごっこができない
あなたのせいで、いつまでもベトナムごっこができない
朝にぬかから胡瓜を出して切る。
冷えた長岡茄子にからし醤油をつける。
これが食卓に並ぶようになると夏だなあ、と思う
あたりまだ夏ではないんだなあ、と思う。
毎日暑くて
暑いとなんというかカラダが活性化されて
何をしていても健やかだなあ、
と思うそのことが好きだ。
(それに頷く私は
汗を必死にかいて体温調節をしているカラダを
活性化している
などと括ってしまうし
健やか って何か入学式っぽいわよね?
なんてことを思ってしまう。)
暑くて ヤーんなっちゃう
と繰り返し言ったりするのも好きだし
食欲がないと言っている人の傍で
アタシへいちゃら
と言いながらものを平らげるのも好きだし
汗まみれになって目が覚める
あの朝の感じも好きだ。
う、う、うれしいーです。
(同意はせずに頷く私は
暑い街中を意気揚揚
とまでとはいかなくとも歩き回り
冷房の効いている建物に入るその瞬間
アー コレコレ
と感じたりすることが好きだし
思っていたよりも涼しくない
と期待を外される感覚も好きだ。
クーラーを効かした室内で
羽根布団に包まり世間様を
小馬鹿にした笑いを浮かべるのも好きだし
朝目覚めて自分の部屋を一歩でた
あの煙い感じの空気も好きだ。
なによりビイルがおいしい
う、う、うれしいーです。)
鳥もうるさいし
草木も生い茂ってるし
髪が伸びるのもはやい
女は男のやさしさにつけこむし
男は易しさで女につけこむ
雨上がりに涌く虫に文句を言う。
という夏にまつわる
ア リアルテイル。
パイナップルマンゴーって甘いの?
と聞かれたので
飲んだことがないので判らない
でも甘いと思う
と答える。
*
シックス
という言葉を見聞きすると
どうしたって
セックス
という言葉を押し付けられてしまう
というか一般に
シックス
は
セックス
とも言う。
*
美しく移ろう日本の四季
ここは常夏ではありません
夏は心の錠を甘くするわ、ご用心。
ピカピカの服を着ていたカンボジアの果物係りの少年は
20年もおなじ係りをしているうちに
果物のことが何にもわからなくなってしまった
それでも果物係りはその場所にしがみついて
コンビナートの機械みたいにセッセと果物を捌いては、ひとり安心をしている
この道は引き返せないと思いこんでいる
アンコールワットでミルクフルーツを割ったとき
果物係りの夢だったものがジトリと流れ落ちて、わたしの頬が上気した
彼がビー玉の目で、ジイッと見ていた
なんだかいっそうやりきれなくて
20年も着古した帽子を借りておどけてみせた
果物係りはケラケラと笑っていた
夕暮れ、行きかう人たち
幾ばくかの祈りを捧げて
一日が、閉じていく
きのうやってきた別れが
今日になってもどこにも行かない
わたしは家をでて
3丁目と4丁目をうろうろしている
道端で蝶がとべない
よけて歩いて
あと5分もすればきっと死ぬ
わたしは「しごとに行きたくない時に書きました」と言って「行き先不明、朝8時15分 」という詩を提出した。
「私もそういう詩を書いたことがあります」と詩が送られてきた。
しらないところで誰かが、おなじような瞬間を持っている。
わたしの街の電車はピンク色をしていて能天気だ。それでいてとてもきらいにはなれない。
猫がにゃーと鳴くように、詩人は詩を書いたりする。
庭の蜜柑は星だった
オーリーオーンの三ツ星だった
ながい孤独の底がぬけた瞬間
宇宙から落ちて
ちょうど蜜柑の実となった
わからないことがたくさんありすぎて
いっそあわれな姿となったが
今年はとくに酸っぱくて美味しいねと言われ
まんざらではないと微笑んでいる
ときどき思い出したように
くやしくてくやしくて
真夜中きゅうに輝いては、泣く
さっき電車に私は
もの思う部分を
おいてきちゃったみたい
そんな気がするんです
夕暮れは、揺れても揺れても終わりがないようだった
そんなはずのないことなど分かっているのに
読みかけの本を落とし
スカアトを直し吊革を握る
流れる景色は落ち着かずドアも開かない
怖くはなかった
終わりはいつまで終わらないのだろう、という映画の台詞を思い出していた
それがいったいなんの映画だったのか、
大体それは映画だったのかさえ思い出せなかった
うわのそらで立っていたので
一瞬
力を入れるのが遅れる
前に突き出てやっと止まった
まだ痛みを伴わない傷みが
不思議なほど心地よくて眠たくなる
頁をめくった風をおいかけてみる
そして身体は
誰かを押しのけていることにも気付かない
大学生のころ友人の家で
オーブンで焼いたエビを
あっという間にぺろりと8尾平らげてしまい、
それから後は
ビイルとエビが大好きなかわいい学生
という拭い去ることの出来ないアイデンティティを確立し、
と同時に
大トロのにぎりを与えるといくらでも食べるかわいい学生
更には
煮あなごのにぎりなら一桶平らげるかわいい坂本パルコ
として存在しつづけてきたのですが、その頃からはや10余年
いつしか自分でも気づかないうちにその役割を終えていた。
もうそんなに食べられない・・・
のに先日も
玉ねぎと海老と舞茸のかき揚げが美味しくて食べ過ぎてしまう
ここのところ少し量を食べるとキモチ悪くなる
ということが続いていて今回もその例にもれず
キモチ悪くなり一晩中眠れず
翌日もほとんど何も食べられず、
ということになる。
こういうのを
自業自得
とか言うらしい。
まったくぜーんぜん知らなかった。
元気がない時のわたしに
「ちきゅうさんっ。そういう時はちょっといいハンバーグを湯煎しましょっ。」と言ってくる。
わたしは仕方なくなって、ハンバーグを湯煎します。そうして今年の5月も終わりに近づく。二度と来ない。
散歩を誘う小路があった
五月雨が通りすぎて
花の匂いを消していく
ひとひら散り、またひとひら、すでに葉になりつつあり
ひとつだけ残ったつぼみ。
どうやらこのつぼみまでは開くらしい。私は
かなわないと知っているおもいを何度も取り出して、開いて、触って、
かなわないと知っているおもいほど快楽。
黙っていた。
かたときも離れず一緒にいなければ死んでしまう
というふたりにしか行けない場所が
確実にあるように
そんな時間があるように
それはとても思ってしまう。
私もそこに
ゆけたかもしれなかったその場所を
ふたりは今日も散歩していて
そこにはあたたかな雨が降り
日常の後ろに音楽が流れ
それらを丁寧にかさねてゆく。
それは友情でも恋人でも夫婦でも呼び方はなんでもかまわない。
私は大事な人と離れてはいけなかったのではなかったか。
花ではなく
歌ではなく
ずっと信じられるその言葉より
選んだ言葉が声になった。
無数の緑のかたまりが
等間隔に並んでる
生きているのか死んだのか
キャベツ畑に蝶が飛ぶ
女はキャベツ以外だ
時間をわすれて立ったまま
その景色を見ている
昨日うまくいったはずのことが
今日になって最悪の結末を迎えた
けれど通り過ぎて行くしかない
家に帰って冷蔵庫をあける
キャベツがひとつだけあり
他には何もない
仕方ないから蒸す
蒸して食べる
わたしは
全てを知っていたのだといいます・・・。
夢の中で見る夢さえ
わたしはここに来ることを知っていたといいます。
透明な糸を辿り
ふたりは出逢いのあの時を
何度も繰り返し話していた、と聞きます。
どっちが恋におちた、見つけた、
と言い合っても
前の世ではそれが約束だったのだから、と聞いています。
一緒に次を思い出してみることにしました。
勝手な話に付き合わせましたね。
あの流木に座ることも約束だったのかな。
蒼い夜があった
そこで星が生まれて死んだ
水銀灯に照らされ魂がゆれていた
気がつくと私は或る屋敷に植えられた中庭の木になっていた
いつもはテーブルの下にいるms.good yearが爪をといだり無邪気にしたりする蜜柑の木だ
最近実に宿った魂に
アア、やってくるのではなく、いつから日々は過ぎていくものになったのだろう
などとシニカルな会話をするようになった
上手くいかない人生
上手くいくはずのない人生
二人は見上げるこの空の
星座の中にはいない
やがておとずれる安らぎ
(あるいは偽りのやすらぎ)
私は言葉で指を差し出す
もっと深くて遠いところで輝いた
あの星座が見ている星さ
さわ山の大福と香里鐘とマキコさんの家
にしか用のない街古町にはドトールコーヒーが在り
時間にはまだ早かったのでアイスコーヒーとミルクレープを注文すると
ガムシロップとミルクはこちらからお取りください
と促される
店内では
あの古きよき夢を、とカレンが歌っている
本を読む
後ろの席でジム帰りの中年女性が二人
鞄から菓子を出して相続税の話を始める
自動扉をニュルリとぬけて
鬼門に入る
用事があるのだから仕方がない
仕方がないから
シブシブに
と見せかけて
万代で鬼門入りした
本当は入りたくて仕方がないので入った
あの人の車内でかかっていた曲
ずっとかかっていたあの曲を
買って帰ろうとして
入れられているばかりでは芸がないので
私は鬼門に入ろうとする
入ろうとして入ったら夜の果てで
「・・・うわ
せっつなーーーァッ
ここにあのヒトがいるみたぁーーいッ‼︎!」
何万光年
離れたところ
きみとふたり
くちづけをした
思わずでそうなクシャミを止めて
私は咳に似たナニカをした
ハルコは21だった
年齢のことを言ってるわけではない
歳の話をすれば、ハルコは35だ
35とはいっても
実際のところ
それより若く見られることが多いようだ
煎餅屋で箱に詰めてほしいと申し出たら
帰省のできない学生に間違われたことがある
というか
ハルコという女は年齢不詳なのだ
と、ここで初めてハルコが女性であることが明らかにされたわけである
が、ハルコという名前からして
そんなことは最初から分かっている、などとアナタは安易に考えてはいけない
三本目の脚が生えているかもしれないのだから。
顔についていえば、十人並みというよりむしろ美人の部類に入るだろう
特徴的なのは、その大きな目で、睫毛が長く、クリッとした切長なのだ
勘違いしてはいけないのは、それがレンズの奥にあるということだ
罪つくりな女と言われたことも一度や二度ではない
ハルコは21だった
21とはハルコのような女のことを言うのだ。
二年前に書いた『日曜日にカゼをひく』と『アンチョビとキャベツ』の間の話が読みたい
という声を多数いただいたので
今回も「私」を主人公にした『彼女のことを、いっこだけ』というショートストーリーを書いてみました。
実際の私をご存知の方なら
あ〜・・・やっぱりね・・・
と薄笑いを浮かべながら一ミリのずれもなく同じことを仰るだろうと思うのだけれど
日常の私をそのまま描いてみました
恋におっこちるときもまああんな感じです
どんな感じなんだか
まあどんな感じでもよいのですが
武田地球はそれがすごくいいと言って
そう言ってくれる
私はそれがとてもいい
敬具
空き地の真ん中に、雪平鍋がおいてある。
内側が黒く、焦げついているようだ。
捨てられてしまったのだろうか。
今日は春のよい天気で、そんな鍋にも陽がさしている。
雨が降った日、まだ鍋がある。
すこしの水を湛えて、むかしを思いだしているのかもしれない。
空き地の真ん中、鍋はひとりで水を湛えている。
さあ、春といえばペンペン草だ。
鍋のまわりにたくさんのペンペン草が生えた。
ペンペン草はついつい風にそよいでいるが、
傍らで鍋は、まだじっとしている。
緑のトンネルを抜けたところに街がある
日よけ帽子を被ったおばあさんが
今日ワクチンを打ったのよ!と
花が咲いた時みたいに笑って話している
東京オリンピックの年に結婚をしたおばあさんは
おじいさんを去年亡くした
いっしょに東京オリンピックを見るのが最期の夢だったのに!と言いながら
それでもうれしそうに揺れている
会いたかった人に会いに行くの
そんな声が街のあちこちから聞こえるものだから
飛行機は大きな音を立てて飛んでいる
パン屋は美味しいパンを焼き
広場の清掃員はベンチをきれいに拭いている
こどもの蹴ったサッカーボールが目の前に転がってきたり
電線に並んだ鳥が一斉に飛び立ったりしている
この街の今日は、いくらかよい気分だ
何丁目の誰の家で患者がでたと噂が立ったこと
長く続いた老舗の料亭がひっそり店じまいをしたこと
職にあぶれた若者が部屋の中で動けなくなっていること
誰かが誰かにうつしてしまったのをずっと悔んでいること
そういうものを街の奥にぎゅっと抱えこんだまま
どうしたってどこかに向かって進んで行く
街のはずれには四つ角がある
カーブミラーはしずかに脈打ちながら
いつもと変わらず太陽の光を反射させている
なにもなかったように
カーテンをあけて
近所のコンビニまで
最後のおつかい
なにもなかったように
ゆっくりと回る
この
ほんのわずかな一瞬
偶然という名の日常
「ちきゅうさん、かぞえうたをしましょう」
ある日そんな風に声をかけられて、坂本パルコはきっと、春秋蜜柑のことを考えているのだろうなと思った。
それから二人でかぞえうたをやりとりして、案の定しばらくすると、テスト用のサイトに「蜜柑のかぞえうた」という作品が掲載されていた。
けれど自分の担当したところだけ、修正してある。やっぱりまたずるい。
しかも今回のサイトの更新では、蜜柑の写真のフリをして柿の写真を載せている。
あんな風にみえてこんな風にしている。坂本パルコは、いつも何食わぬ顔をしている。とても良いようにおもったりする。
ところで最後の食事に何を食べたいか
私は何を食べるのだろう
考えあぐねて母親に訪ねたところ
天せいろ、大きなエビの天麩羅の
という日本人らしい答えが返ってきて
私はまだ考えあぐねている
それから新しい恋がしたい
抱えきれぬ恋心に這う這うの体
という設定でいこう、
これが案外ハマリ役。
決まりました
最後のひとつ前の食事は
ぽるくのチーズとんかつか
ナカタのハンバーグオムライスか
ヒカリモノ中心のお鮨に決めました
最後の食事はレモンパイがケースになければ抜きにします。
「色が白くていらっしゃるから」
実は大人になってからよく
同じようなことを言われるのだけれど
自分で色が白いと思ったことは実はない。
それにしてもこの認識の違いって自己評価の低さ
とかそういう詰まらない話に帰結する
のかもしれないけれど
自己評価が低かろうとそうでなかろうと
今の私は痛くもかゆくもないし
もう35年近く毎日見ているから良くわからん、
というのが正直なところ。
アホな話でした。
女は思い出したように
レモンパイを焼いた
なんとなくだ
いのちにはそれ以上の事情が表明されていない
ある朝
ネコの死体が市の指定の袋につめられて
ゴミ集積所に放ってある
半透明は丸みをうきあがらせ
どうやらいまだに生ぬくい
陽光に照らされているのは
何故なのだろう
遠くからみていた
オーブンの熱では
歓喜や悲哀はすこしも減らない
人生は短くて
たった数回パイを焼いたら必ず終わる
黙っていた
もうずっとずっと黙っていた
右手で不安の芽を刈り取っていると
左手が不安の種を蒔いてしまい、
途方に暮れている。
雨の日だった。
ビルが光っている。
信号で立ち止まる。
女は雨に
濡れてゆく髪を体を却って楽しみ、交差点で
よろけた。
酒気帯び。
すべてはただの風景
流れてゆくだけの風景
夏はピーマンを炒め
冬はニシンを焼く
ずぶ濡れた風景はやがて
誰かの道しるべとなった。
6月12日週の春秋蜜柑はハレー彗星の接近に伴い休載します。
みなさん、
自転車のタイヤに空気を入れましょう。
またぞろ「ページ止めます」という訳ではございません。
今しばらくご容赦下さいませ。
Ciao!
物語を書いている
まるで
それだけが彼女を救ってくれるかのように
救う、という言葉は正しくないかもしれない
彼女はそんなことすら意識していないのだったから。
誰であろうと
意識することなく何かに救いを求めている
けれど他にするともなく、ただ、
何かに救いを求め続けるのだとしたら
いつか疲れ切ってしまう
救いなど、自らの中にしかない
外部からもたらされたものなど
いつか消え去ってしまう
いつもそばにいる幸せは
ある意味そんなもので
ある意味ひとりぼっちなものなんだ
足早に過ぎ去ってゆく、
私とあなたの間の唯一の静止画像
それは
闇だったか
光だったか
移ろう世界の唯一の静止点。
4丁目の公園にあるのは
白馬の抜け殻
ひとりで宙をみている
街の人たちは
こころなしか疲れているのかもしれない
どこへも行かれない夜があったり
広くて仕方のない夜があったりする
街にはいつも季節が来る
去年とは
ぜんぶがすこしずつ違う6月が
あの白馬の抜け殻のところにも来る
かといって
なにかが起こるわけでもない
けしてあきらめるわけでもない
ただ続く
白馬の抜け殻には
静かな目がふたつある
居酒屋の前でまだ帰らない学生たち、
ゆっくりと帰路に就く夏の女子高生、
後ろでに手をつなぐ幼児と若い父親、
男と女が歩いている、鼻を突き出すようにして
風の匂いを嗅ぎ、嬉しそうに、というのは
こちらの推測でしかないが、ホントウに嬉しそうに歩く。
ハッピイというものを形にすると、こういう匂いになるらしい。
夏の日の朝の匂い。アイスを取りに冷凍庫を開けた匂い。
よく乾いた洗濯物の匂い。何故か、踊りだしたくなるような。
16時に浴室から出る、電気の点いていないキッチンに
眩しい西日が入り込んで
なんだかよくわからなく嬉しい。
匂いは、形ではない。
匂いは、閉じ込めることが出来ない。
匂いがしないものなど、信用出来ない。
明日
死んじゃうかもしれない。
だから
今ここでこうしている。
今を
こうしている
まだまだ、
こうしている。
ホントーにうれしい。
しあわせ。
みたこともないサンドイッチをつくる
ふらりとやってきた恭子が
この街を挟もうとしている
あのビルも小学校も夏雲も
サンドイッチにしようとしている
連日の猛暑日
扇風機のボタンを
意味も無くもう一度押す
今日が暮れたら今日が消える
さっきまでいた人がふっと居なくなってしまう
あらゆる変わって行くものを
サンドイッチにできたらいいのに
夏だからとても愉快だと笑い
恭子は緑が騒々しい、
みたこともないサンドイッチをつくる
あの晩は
そう
何処へ行くともなくただ漠然と
歩いていた
路が続くがまま
歩を進めてゆく
身を委ねる
何度も何度も現実から逃げ出しては
誰もいないのをこれ幸いと
何に隠れるでもなくただ
連れ戻しにきて呉れるのを待っている
私は白馬です。
走り疲れて立ち止まると辺りはしいんと静かで
息する音だけが聞こえる
ふと見上げる空には銀色の月ひとつ
夜だというのに月には影の気配もなく明るかった
白馬は、
月を見上げる。
篠つく雨を
焚き付けて
私たちは振り出しに戻る
断続的に
濡れそぼる
かわいそうな二人
頭からつま先まで
着衣のまま
吹き抜けて
帰るところもなく
蛙みたいな顔で
やおら、
たたずんでしまう
雨の中
ビニール袋に引っ張られ。
晴れの日はきらい
ふたりは雨の街に住む
通りを行く車が水を跳ねる
その音を信仰する
傘はささない
あらゆる水のつぶを
けして裏切らない
すべてを赦す
それでもいつか
きっと晴れたりしてしまう
「空から来たから空へ還る、
また来るかは知らない」
晴れの日にひとり、傘をさす
あとは何もない
1丁目からぜんぶ雨降り
人は幾らか重くなる
公園の遊具が湿気る
郵便は滲む
どの道を選んでも行き止まり
バスが来たり来なかったりして
確かなものなど何も無い
そんな時にもわざわざまた降る
ところが止む
「4丁目から晴れ間が広がります」
みんなそちらに駆け出す
梯子が架かる
はやく会いたい
もっともっと
もっと生きて
もっとほしい
ずっともっと
もっともっとと言っていたい
もっともっと
と言いながら
そんな私はずっと
なにをしたかったのだろう
わずかな日にあっても
永い永い夢をみる
でも
あとすこし
もうすこし
もうすこしだけ
ああきみは
エモーショナル
夏至も中日を過ぎ
梅雨のサー・ジャンナヒィンフィルミレンゲまつりは今年も佳境に突入した
まつりが祭としてエスタブリッシュされた頃
あの神憑ったまでの情熱も今ではすっかり鳴りを潜め
全ての儀式が儀式として形骸化していることは
もはや誰の目にも明らかであったがそれでも
御神体が開帳されると民衆の間にどよめきが起こった
弁当運びのガンジーはミナールの塔の中で
現在に至っても緑の弁当バッグを保っていたのだ!
駐車場では雨が止まない
少し前に死んだきいろいクルマに
男が傘を差しかけている
訊くと羊飼いだと云う
幹線道路を飛ばして
大事な人に逢いに行った日に
鉄塔が倒れて見晴らしがよくなった
あとひとつ信号が赤だったら
逢えなかったんです
羊飼いが静かに話す
雨がそのうち止む
ふらっと近所の原信に「 夕飯の買い出し 」
に行った時、友人のお母さんに出くわしたのだけれど
私がメガネにマスクをしていたのにも関わらず彼女は
あら! 春ちゃん入院したんだって?!
もうからだは大丈夫なの!!
(もう5年も前の話だ)
から始まり、そこからひとしきり彼女のお話
が始まったのだけれど、そのあいだ中、私は
メガネとマスクをしていた私を見分けたアンタはすごい!
と思っていたことであります。
冷蔵庫を開けてから閉める
牛乳が牛の乳であることを
恭子は信じない
卵が鶏のものだということも
もちろん信じない
辻褄が合わないことばかりで
可笑しい
呆れて外に出ると雨が降る
濡れているアスファルトを
蝸牛が薄鈍に歩く
けれど蝸牛は
恭子にすこし似ている
休日の午後
ドトールコーヒー
斜め向いに座っている中年夫婦のオスの方が
しきりと視線を投げていた先には
短いスカアト
短いスカアトからは白い腿が生えていた
メスの方はそれに嫉妬し視線の先に睨みをきかせ
オスの方を急かせるように店を出て行ったが
もしかしたら3本目が生えているかもしれない
と思って見ているのは私だけでしょうか
電話口で
転調を
店の責任者だと勘違いする
メロディーの途中で
店長に襲われる
ドトールの店内で
店長に襲われる
名も知らぬ花の下で
店長に襲われる
白い皿の上で
こちらを見ている
ツナチェダーチーズサンド
曲がり角には大きな看板
〇〇病院まで一直線です
疲れて座り込む
要らない雑草は抜かれ
掌に収まらないものは溢れる
どうしてか晴れ
どうしてか空が高い
病院から
あかい風船が上がる
良いことか
或いは
悪いことがあった
どちらにしろ結末はおなじ
鳥が何処かへ飛んで行く
風に耳打ちをされて行き先を決める
バス停で見知らぬ老人に話しかけられたので
ボサノバを出鱈目に歌い遣り過す
風が吹いているのがまるで嘘のようだ
其れ、
本当は嘘なんです。ワタシ、嘘つきました。
そういった穏やかで
晴れやかな気持ちでした
風のない日の長い一日。
街を bra bra
流れているのは周りの人と次の季節。
夕暮れの街をあてもなく pra pra
莫迦げている。待っている。
静かに降りてきた夜のはじまりには、居場所がない。
ただ過ぎてゆく幾晩ものどうでもよい夜。
のろのろと歩が尾を向きかけたところに、携帯が鳴った。
「もう15分も待ってるんだけど」
恭子の声に耳を噛まれた。
私は今、
湯をかけたら茶になる塩漬けの桜の花のように
しおれているわ。
と小綺麗にまとめたりしている、が
実は昨日もキムチを食べ、
テグタンスープを飲んだので、
おかげで水を飲んでもニンニクの味がする。
湯をかけたらニンニクスープ。
永久の愛はニンニクスープの中にある
それがgrandmaの
そのgrandmaの
口癖だったみたい。
私のお休みがあまり長くないので
とりあえずグアムに行ってみた。
マリンスポーツに全く興味のない
バドワイザー飲む位だったら水!
っていうのもあり得ないから C.C. をソーダ割で!
なふたりが何故グアムか。
それは、短期間でも行った気がしそうだからです・・・
グアムは極端に寒い。
つまり、室内のことです。
ということで、到着した瞬間から寒さに震え、
翌日、肩丸出しの服を着て観光
した教会も冷房は最大限マックスで
移動する車のクーラーも強冷風直撃、
そして丸出しの肩よ ・・・
暑さと冷房で疲れたところで
夕飯に大ハシャギ、
案の定というかやっぱりというか当然というかとにかく
その翌日は大熱を出して動けなくなったのでした。
まる一日を夢うつつで過ごし翌日には
グアムにいるあいだ中夫婦で言い続けていた
何か塩っぱい汁が飲みたい・・・!
という望みも、グアムなどで飲んでも決して美味しくはないであろう
とはいえ何故か妙においしかった
じゃがいものビシソワーズ
によって満たされそして夕方便で無事帰国、
成田でサーモメーターに引っ掛かったらどうしよう
(「濃厚」接触者のちきゅうさんも成田に足止めを喰らってしまう!)
と内心怯えていたのだけれど何ごともなくスルー、
麻薬犬に尻の匂いを嗅がれることもなくやがて車で帰宅したのでした。
あーよかったよかった
めでたしめでたし
夕暮れの街にあてもなく出てゆく前ひととき素足に新しい靴を穿いてみる。
土曜の夜はとても
へそをしげしげ眺め
土曜の夜はとても
電話を待っている
だって今夜は
出てゆくかも定かではない
だって今夜は
土曜日の夜
土曜日の夜には、居場所がない。
あかい風鈴はスコールの合図
やまない雨はない、のかもしれない
というより、どうだっていい
わたしはわたしを必死に証明し
雨がやんだことに気づかない
気づくのは夕焼け時
傾いたブランコのある広い公園
鳥が落ちた果実を運ぶ
ああいうものは
どこまでも飛んで行く
樹の下にお婆さんがひとり
今日のたまごの販売は終了しました
それからすこし外れた声でうたう
ちいさな傷こそ
やがて致命傷になる
太い樹の幹は裂けてしまう
ここに来たのは
ボタンをひとつ掛け違えただけ
それでいて二度と戻ることができない
たまらず地面をみると
たまごが割れている
わたしは何も
みない方がよかった
汗がつたうと
地面に落ちる
お婆さんのうたが聞こえる
また歩く
知りたくなかった
その人の家はなかった
猫は居なかった
花粉は熟さなかった
蜂はこなかった
何も聞こえなかった
愛してる
と言ってください
誰も欲しがらなかったケーキ
誰もが切り分けられた
美味しそうなケーキの周りにいながら
それにはまるで無関心
深く眠ったら
朝起きて
もいちど
生まれ変わり
この世で遊ぼ
今日は
パルコ
と呼ばれるまで返事をしない と決めた
けれど
誰もそう呼んでくれなかったので
私は一度も振り返らなかった
本当は
戯れにアッチムイテをしたら
首を痛めたので振り返れなかった
パルコは破留虎と書きます
玄関で待っている
二度と帰らぬ人が
まちがって帰ってくるのを待っている
しろい花はしろいから好きだった
雨が止んだまま
傍らでは猫が泣いている
わたしは泣かずに
落とし物をあつめている
水を飲みこむと
思い出す人がいる
こんな日に玄関が開くと
きっと、まぶしい
そう思えるから待っている
待っているわたしは
しろい花を飾る
夕焼け小焼けが聞こえる
犬ならば一目散に帰る午後5時過ぎに
一人とぼとぼ家路につく
見たことのある人たちと
まるい食卓をかこむ
わたしはつられて
熱いハンバーグを食べる
すると生活は案外わるくない
布団で眠ると朝にぶつかる
「おはよう」なんて言うと
4丁目に陽が差す
考えるよりもずっと早く
変哲のないものが見えだす
おもわず嬉しくなる
今日という日がまた生まれる
どちらが先に逝くとも知らない朝
どちらが先に逝くでもない朝
南阿佐ヶ谷
台所の音が聞こえる
ヴェトナムの器を和食器に重ね
天蓋つきのベッドに青い麻の敷布
イタリアのソファに身をくつろがせ
鏡には或る詩人の手になる家電量販店が映っている
夜に向かって
名を呼んだ
声ではない
声は溶けて
名は
ひとひらのぬくもり
くちびるの上の
尽くせぬ
想い
溢れて
ながれて
花に消えた
智に働けば
バターになった虎
情に棹させば
フィヨルドの間に見え隠れする
夏至の日のムーミン
それから
日本最大のテーマパーク
ドイツ村
ぬくもりのあるうちに
名を呼んでください
私の指に
(ディスプレイにお手を触れないで下さい)
その街には羊飼いが居た
杖を傘に見立てて
羊飼いはエレクトリックマウンテンの周りを一周だけまわる
針も思った数字を指さし
腰かけていた石にアソートを残し
羊飼いは白熊に戻る
スケート靴に素足を通し
右手に掲げた
オールウェイズ
コカ・コーラ
今日も羊飼いは、
杖の端を片手で持ち、
逃げない山羊を目で追い
かけているサンダルの
素足が日に焼けていた
ヤマダ電機にはなんでもある
だから諍いは起こらない
朝はホームベーカリーでパン
コーヒーメーカーでエスプレッソ
一休みしたらイヌと散歩
ヤマダ電機に似合うのは
まんまる顔の茶毛のイヌ
午後はお客さん対応
疲れたらマッサージチェア
大画面テレビではキリバス
世界一早く朝日が昇る国
「ヤマダ電機キリバス店をつくろう」
社長も思わず快諾
ないものがないからあっという間に完成
キリバス人は大歓迎
採れたての魚と最新式のグリル
夜通しのパーティー
翌朝はここぞとばかり
ホームベーカリーにコーヒーメーカー
そして、
世界一早く、昇ってくる朝日
いまやキリバスといえばヤマダ電機
ヤマダ電機といえばキリバス
人だけではない
魚も鳥も動物も集まる
草も花も生い茂る
昼は太陽
夜は星
何一つ拒むことがないから
無いものが無い
つまりそれは愛
貴方を愛しているということ
いつも満たされている存在
空と海に囲まれた
ヤマダ電機キリバス店
おそろいのペン
おそろいのグラス
おそろいのブローチ
つがいのリップクリイム
つがいのテイシャツ
ひとつをさがす
ふたつのかたち
そんな感じ
なんとなく
知らない街のモスバーガー
僕はドライブスルーがあるって言ったけど
きみは店内で待つのもいいんじゃないかと言った
神さま
ほんとは
あんたなんていない
わたしはこんなふうに
わたしたちを手に入れるのだ
墓石に水が流れた、
おとうさんは欄干でクビを吊った、
ぬるいリンゴ水を欲しがった
入道雲はだいきらいだ、
おとうさん、おとうさん
低かった空は、とおくなって彼方だ、
屋根に三角、たわむ電線、
季節変わりの混ざりゼミ、
ひとがみんな、畑に立てられている野菜、
手首のうすい動脈をみているわたしは、
ガタン、立ち上がった朝
8月の21日まで休載しますので何卒よしなに
休載をすると代わりに旅行記が載るというなんとも不思議な頁
台湾旅行のプランを練ろうと
ちきゅうさんとタイ料理でドリップコーヒーを飲む。
まあ、プランと言っても話す前から既に内容は決まったようなもので
食べる
エステ
占い
という私たちとしてあるべき 「真っ当な」
休日をふたりで 「エンジョイ」 することにする。
ついでに私は
とてつもなくおいしい月餅を絶対に、どうしても買いたい!
ということを主張、いかに私と私の家族が月餅を好きか
(というほど家族は好きではないのかもしれない。
私は大好きだ、月餅を。好きなのだ、月餅を。
と倒置法で言ってみるくらい好きなのだけれどとはいえ
それほど頻繁に食べるものでもない、月餅は。
ということはそれほど好きではないのかもしれない月餅。
でもそんなことはもうこの際どうでもよいのだった。
お土産ってそういうものなのではないかと思うんです
敬具)
について不必要に熱く語り、そして賛同を得ることの出来ないまま
ちきゅうさんが残した抹茶アイスの底のコーンフレーク
をひと舐めして
書店をうろうろしては
私がタイ料理屋で落とした指輪をふたりで取りに戻り
ビニール袋に入れられた指輪を受け取り
はたまたスーパーの並びにある粉っぽいおいしいソフトクリームを食べてこの一日の夜は終わったのでした。
(つづく)
そんな訳で台湾詩人ふたり旅。
行きの飛行機で隣に坐ったカップルは熟年のゲイだった。
何だか幸先のよい旅のはじまりに
というか、どうしてそれを確信したかというと
お魚と牛肉の2種類あった機内食、
お魚の方をチョイスした彼(男役だと思う)が
ねえねえ〜、やっぱり牛肉の方がいい〜
と言い出し取り替えてあげたもう一人の彼(ということは女役)が
取り替えてあげるのは愛してるからなんだゾ!
と普通に話していたからでこれがただの男友達だったとしたら
今までの私の人生は全て間違っているのではないか
というのは大げさにしてもとにかく
そんなふたりの会話を聞いていたのは私ひとり、
隣でちきゅうさんはホビットを観ていたし、
私は3時間キリンジとサンボマスターを交互に聞いた。
今回はパッケージツアーに乗ったので
空港からホテルまでの送迎もあり、その時
知っていると便利な中国語メモのようなものを渡され
しげしげと眺めていたちきゅうさんが
単語集の中に「古だぬき」
っていうのがあるけど ・・・ これいつ使う ・・・?
と言い出し私たちふたりは笑いが止まらなくなり
更によくよく見ると
岡惚れ
という単語まであり、
一体現地の人とどのような会話をしろというのだ??
ということでホテル着。
(以下次号)
公園の散歩をするのが夕暮れ
水の音がしたり
風が吹いたりしている
雲にオレンジ色がついて
白い月があがって行くのを見たりする
手はすこし汗ばむ
アイスクリームの自動販売機
一つ180円から220円
seventeen ice cream
小銭をポケットからだしたりする
丘に登る
遠くが見える
蝉がまだうるさい
どうしようもない
ただの散歩というもの
タイを出国するのには
ゲートを通る必要がある
西に黄色のゲート
東には赤いゲート
どちらも狭い狭いゲートだ、
というのは正確ではない。そう
東にもゲートがあったのだ
わたしたちは驚きは隠さずに
ウインカーを折りたたむと
天使が舞い
ラッパの音がして
ゲートは開かれた
すれ違う人が通るそれは
なぜだかとても広く感じた
恭子は橙のワンピイスを肩に通そうとして
タイの中によく冷えた仏教を見出す。
悪いことをした
だから今年は
庭のゴーヤがならなかった
それでも生真面目に
幾つも花が咲いた
やっぱりわたしはゴーヤがすきだ
忘れてはならない
そんな苦いことばかりだ
ありがとうというと
あの夏が小さくなった
けれど終わることがない
西陽はずっと眩しい
ゴーヤチャンプルが食べたい、
ふとそう思った。
夏だなあ。
見た目はいつも通り
ぽわーっとしていますが
会心の出来。
理由は花かつおを使ったことと
いつもの2倍位の厚さの
豚バラを使ったことだ(多分)。
肉の脂が好きなので
豚バラと
豚肩ロースが大好き。
ゴーヤの苦味は塩と砂糖で揉んで抜く。
下処理もせずに初めて食べたその苦さときたら。
あの時のゴーヤは苦かった。
あんまりの苦さにその時のことは
自分が着ていたものすら覚えているくらいだ。
その時のびっくり仰天の気持ち、
きっと一生忘れないのだろうと思う。
最近のゴーヤは苦くなくて、少し寂しいと思う。
食事
か 読書
か コーヒー
か スケボー
か ウォーキング
か 大谷翔平
か
と聞かれたら多分
大谷翔平だけど
大谷翔平
か 昨日
か
と聞かれたら
断然昨日だ
暗い、バリの部屋では時が刻まれいつまでも
続くようでもあり続くようでもなし私達はそれを
或る文字として認識するようです
西も東もないような夕暮れに
弓なりの空の下を矢のように急かされる
急かされる? いいえ、
気づいたものがありました。
歩調はたそがれ
青く色染めた手首のバンド
ざざざ
波の音がする
待って
小豆かもしれない
大笑いする
小豆笑い
天国に南はあるだろうか
滑り落ちた波風は
その温かさでロオソクの火をくらあく
引き伸ばした
電信柱は垂直にしている
誰にもほめられず
見向きもされず
せめて綺麗だったらいいのに
なんとも言えない色をして
笑うこともない
だからあの人はまるで電信柱だ
電信柱がすきだ
それでも勇ましいから
まちがったことをしない
煩いことを言わない
かといって冷たくもない
夜に必ず
ありふれた光を灯す
忘れてはいけないことがある
わたしは街中の電信柱に
なまえを書いて廻った
数年前に恋人が死んだ。
自宅にも少しだけ骨を置いておきたかった。だからそうした。
ところが骨の保管というものは難しいそうで、手元供養の小さな骨壺の中で骨は
もう黴が生えているかもしれない。
死んだあとにもそんな事が待っているものだから、いのちとは難儀なものですね。
そんなことをぼんやり考えていたら、今日はお盆だった。
身内の墓参りの算段はしても他人の盆などすっかり忘れるものだと、思わず笑ってしまう。
それでもあの頃のわたしの、わたしの殆どすべて。
とにかく我の強い人だった。
きっとお盆に思い出さないわたしに腹をたてて、向こうからやってきたのだろう。
最期に会った時は車椅子に乗っていたはずなのに、迎えのナスもキュウリも来ないから怒って、「あんたはなにしてんのや」と必死に歩いて来たような気がする。
思いだすことも減ったのに、やたら鮮明に目の前にあらわれてしまう。愛というものは、死ぬこともできず厄介だ。
好きだった梨を剥いて、線香を焚いた。
あの人が捨てたはずの、それでも故郷の街、大阪の寺で買ったビャクダンの線香がわたしにも優しい香りを届ける。
もう殆ど忘れてしまった。
けれどこの家にはあの人の遺骨があって、遺影がある。遺骨にはもう黴が生えているかもしれない。
それでもまだあって、それからジッポのライターもある。
今ちょうど百日紅の花が咲いた
叔父が亡くなった時にも
百日紅の花が咲いていて
その叔父とはほとんど行き来がなかったため
死んだと聞かされても何の感情も湧かなくて
悲しみとか
怒りとか
安堵とか
慶びとか
私にとって彼はただのいなくなってしまった人
なのだがそれでも毎年この白い花
を見るとアア、そういうこともあった、と思う。
歳を取って死んだら私のことも誰かが
思い出してくれるだろうか。
傘を差すより濡れる
灯りをつけるより暗くする
わたしにはそういう日もある
誰もいない電話ボックスで暮らしたい
いつでも話せる気がするから
むかし暑い夏の終わりの日
駅の傍のあかい電話ボックス
踏切の音がきこえるね
あの声は誰かに届いていたのか
オゾン層をふざけてみればすなわちオボン層となり
それはお盆荘にもつながり
一見夏季に祖先の霊を祀る神樂のような趣さえ帯びてしまうのであるが
オボン層もオボンソウなどという片仮名に押し込めてしまえば
オボンソウはオボンバナに進化する外
この鬱屈した状況を打破する術がなかった。
オボン層はおぼんで
重いんです。食事のっけてるんだから。
最近じゃあ、犬も相手してくれない。
これ、フリスビーじゃないじゃない。ただのおぼんですよ。
そりゃあ、湯のみも冷めるわけだ。マホー瓶じゃないんじゃ。
フリスビーにも湯のみは乗りました。
根拠はね、ないんですよ。層があるなんて知らなかったんですから。
おぼんにするには、不安定で。
何度も往復しました。面積が狭すぎたんです。
スケッチボードにするべきでした。芸術のお盆。しゅっぱつ。
出発致します。バスが。さよーなら。お気をつけて。
バスは行ってしまいました。別れの紙テープも千切れて。ああ。
仕方ないからSUVに乗ります。Suicaは? あ、お釣りは結構です。
角を曲がると
秋に迷い込んだ
橙の花の合図
さっきより高い空
思わず葉書を一枚書く
郵便屋の男が
忘れずに届けますと云う
きのうより気温が下がった
花の香りが一度だけした
郵便屋の自転車は走り続けて
今日は寄るべがない
落ち葉の日々
風の匂いに
つい振り返ってしまう
匂いは、形ではない
匂いは、閉じ込めることが出来ない
閉じ込めたつもりでいると、途端に
指のあいだから逃れていく
匂いは、記憶に語りかける
私は振り向かない
聞こえない言葉は愛ではない
聞こえないというよりも寧ろ
聞こうとしない
橙としかいいようのない匂いが
手の中に残っていた
ひつじ型のお菓子は
アニョーパスカルといって
復活祭の時に焼かれる
一つ焼くには卵を三つ使う
しろい粉砂糖をかける
すこし幸せになりたいわたしは
かわいいひつじをフォークで刺す
人に生まれてよかった
こんなことをしながら
それでも
あなたの幸せを願う
アニョー型は
焼き物の街スフレンハイムで作られた
キリストは甦り
それ以外もきっと甦る
ピザの受け渡しは
丁寧に応対する
わたしたち
右折ができない路を
その街のせいにする
わたしたち
ひいては
気遣う
こころ
ところ
の
わたしたち
わたし
たち
男ナシには一晩も、過ごせないんです
闇に紛れた月
濡れた金木犀の匂い
大学生の頃、わたしは劇団に所属していて、そこには坂本という先輩がいた。
坂本は先輩なのにみんなに坂本と呼ばれていた。
わたしが劇団を引退する年に、坂本が手紙をくれた。それから自作のうたを歌ったカセットテープも一緒にくれた。
手紙は鉛筆書きだった。やたらと熱い坂本とわたしのことがA4の紙いっぱいに書いてあった。
坂本。
みんなちょっと坂本をバカにしてた。わたしも坂本って呼んでいた。
それでも「〇〇と話すときは楽しかったよ」と書いてあった。
カセットテープはもう聞けない。
けれどカセットテープもそれから手紙も、捨てないでしまってある。
一年でゴムは弛むものです
一歩間違えばアホになる、
というよりアホになりきった
まるで弛んだパンツのゴム
のような生活を続けているのですが
渡らなくてよい沢を渡り
登らなくてよい山に登り
引掻けなくてよいゴムに
引掻けろ。
パツンっ
幾年振りのパンツ。
蜜柑と黄桃とバナナ、牛乳を混ぜてミックスジュース、パンツ。
パイナップルジュースと牛乳を混ぜてハーフ・アンド・ハーフ。
パンツ。クレーム・ド・ブリュレ添え。
セックスは手際よく。
パンツは歯切れよく。
高台からは遠くが見える
あんパンが好きなことを思いだして
パン屋に行ってあんパンを買った
わからない日がある
なぜここに立っていないとならないのか
夏の終わりには
ちゃんと秋があって
空は高くなったりする
わたしはせめて
誰かを想って祈ったりする
後ろを振り返る
長い道があって
まちがいは無かった
あんパンを食べた
だから歩いて家に帰る